「ショウバイ」化


ゼミ発表のためにようやく読み込み始める。

博物館についての言及も非常に(非常に!)面白いが、ここでは措く。

これでようやく社会教育の全体像をつかむためのとっかかりが見えてきた。まずはミクロに業界全体から俯瞰すると、左右対立の文脈を持ち込んだことで現れてきたイシューや、その間に蓄積された様々な実践、頭上を飛び越えていった施策たちなどなど。マクロな社会教育の定義付けは非常に困難な作業だということがわかってくる。ミクロなところでは本丸たる実践の数だけ分類があると言っても良く、そちらはのびのびと(現場の忙しさや厳しい立場に追われて、ということも多かろうが)個性的な実践を重ねている。
あえて生涯学習ではなく社会教育といったとき、キーとなるのは社会教育施設と地域との関わりなのだろう。コミュニティの創出や自助機能をいかに育てるか、に重点を置くさまは、もちろん以前は国家からの抑圧に対抗する軸として語られたのかもしれないが、コミュニティの持つ力や可能性に人々が気づき始めた現在はまた新たな輝きを放って見える。地域のスケールを連続的に変えていくことでさまざまな社会教育施設の役割を考えていくことも可能となるのだろう。

期せずして、科学コミュニケーション業界に対する強烈なメッセージも散見される。中国拳法が2000年前に通過した道だっ!!と同様のもの。

中途で業界に入った奴に偉そうに業績をくれてやるな、という言葉も。理系は文系を下に見る傾向が強いが、そうでなくとも他分野に対する敬意は本当に必要だろう。しなやかさは持ちつつも。と自戒。

まず、もっと読み込んでいきたい。泥臭くて飾り気のない文章はクリエイティブ(笑)の毒気に当てられた頬をぴしゃりと叩く。